Diary 雑記

おおらかな性の時代はあったのか

「江戸時代は性におおらかだった」

そういう本を見かけるし、SNSでコメントをいただくこともある。

私自身も春画を見始めの頃はそう思った。

江戸時代は春画は嫁入り道具にもなり、ペリーの黒船が来て日米安保条約を結んだときに

友好のしるしにために春画を贈ったというエピソードは極めて有名だ。

銭湯は混浴の時代もあったし、明治のジャーナリスト宮武外骨の「猥褻風俗史」では

日本各地に陰陽石が存在し、陽物に手をあわせることもあったことが記録されている。

しかし、それは”おおらか”であり、性に寛容だったからだろうか。

わたしは今の性に対する意識のまま、過去の意識を語ることに違和感を感じている。

明治44年発行の「猥褻風俗史」では総説としてこう記載がある。

西哲進化論者の説によれば、男女が公然交接するを猥褻の行為なりと云ふは、原人時代に於ける生存競争上の習慣が、道徳的観念を生ずるに至りし結果なり

平たくいうと、道徳心というものが人々のなかに埋め込まれて来ることにより、

公然な交接行為が猥褻行為と言われるようになったということだろう。

”道徳心”が何かについて、ここでは省略させていただくのですが(ごめんなさい泪)

わたしたちは性に対してセンシティブになっていった。

何年も何年も時間をかけて今の性意識ができあがってきた。

ここで誤解していただきたくないのが、この道徳心が必要なかったと言っているのではない。

その時代には必要だったのだと思う。

わたしは研究者ではないにしても、インターネットという誰でも自由に閲覧できるところに

自分の考えを掲載するのだからそれなりの責任はあるとおもっている。

だからこそ、手放しに根拠もなしに「江戸時代は性に寛容な時代でした」とは言わない。

「それに比べて今は..」なんて恐ろしくて言えない。

そもそもに江戸時代だけでも200年以上続いてるんだから、

その中でも人々の意識なんて改革ごとに徐々に変化しているだろうし、

「江戸時代VS現代」なんて比べられるわけがない。

しかし絵を鑑賞するときに歴史的、芸術的な価値や知名度を抜きにして

「きれいだ」「これ好き」と言う感情は「今」のものだし、

わたしたち個々の人生の経験や育ててきた価値観からうまれてきているものである。

対象物に心が動くのは、自分の琴線に触れるモノコトがあるからだと思う。

私自身美術的観点からの春画の発信ではなく、

自分の経験や育ててきた精神面から春画を見て欲しいといってるのはこのためだ。

その結果「江戸時代って性に寛容だったんだ!」という感想を誰かが得たにしても

それを私は「違う!」とは制止はしません。

その方が今の性に関して息苦しさを感じている結果であろうし、

事実 わいせつを取り巻く出版物やインターネットの取り締まりを知っていれば

そういう感想を抱くのは自然なこととも感じる。

わらえない春画

今の感覚のまま春画をみれば、怖いと感じる描写もあるし、文化をみることもできる。

口に手ぬぐいを巻かれ、竹に両手を固定されている女性。

女性の顔は険しく描かれており、男性は指に装着するタイプの張形で女性の膣にそれを挿入しようとしている。

もしこれが娯楽として、お互いの同意のもとにあることならよいのだが、

本には「怪我無く女性に気をやらせる方法」として紹介されている。

ちがうページには、この竹の道具のつくりかたの掲載もある。

わたしは当初絵をみたときに快楽的な緊縛の楽しみ方かと思ったのだが、

これのどこが「安全に交合を楽しむ方法」なのか疑問を感じた。

そのほかのページでは相手への思いやりの気持ちをもち交合することを説いているので

一概に一方的な性の快楽を促したいわけでは無いようなのだが、わたしは面白くはなかった。

遊女について

春画-ル所蔵 嘘と知りながらも遊女の手練手管にメロメロな客

小谷野敦さんは「日本売春史」において売春は美化されるか卑下されるかのどちらかだ、ということを述べていた。

花魁は豪華絢爛な着物を身にまとい、花魁道中を行うシーンは漫画や映像でみたことがある方も多いでしょう。

しかし遊女がどのように吉原に集められたかというと、ほとんどが身売りのかたちだったようだ。

江戸幕府では人身売買を禁止していたため表向きは奉公という形をとっていたが、

実際は貧しい親が給金の前借りと引き換えに娘を遊女屋に売り渡したようである。

遊女屋の身売りには「不通縁切証文」と「遊女奉公人年季請状」が取り交わされ

親兄弟との縁を切り、年季を定めて遊女屋の下女奉公として出された。

歌川豊国《逢夜雁之声》文政五年

遊女が本気で恋をした男は「間夫(まぶ)」と呼ばれた。

遊女たちは本気で好きになった男と堂々と会うことは許されなかった。

そのため遊女の中には遊郭からの逃亡を企てるものもいたが、

見つかれば主人からの折檻が待っている。

避妊の方法についてもお粗末なものであり、生理で身体をゆっくり休める暇すらなかったようだ。

浮気は今もむかしもアウト

鈴木春信《風流艶色真似ゑもん》明和七年

性におおらかなら、そもそも浮気だってオッケーなのでは?とずっと感じていた。

しかし春画をみる限りでは浮気をしたら、それが旦那か嫁かに関係なくパートナーは怒っている。

ということは当時の人々の共通認識として「浮気ダメ!」があったからだろう。

ちなみに上の鈴木春信の《風流艶色真似ゑもん》の一図では、

旦那が嫁の妊娠中に女房の身内の娘と浮気するところが描かれている。

歌川国虎《祝言色女男思》文政八年

こちらは歌川国虎《祝言色女男思》より。義理の妹と浮気をする旦那と怒り狂う嫁。

髷をつかまれることは男からすると屈辱的なことらしいのだが、

髷はほどけて間抜けな恰好になっている。

嫁は「早くそのちんこを抜き取れ!畜生のようだ!」と怒り狂っているが

旦那は「もう少しでいけたのに」と行くことへこだわってる。

この旦那の発言がなんとも非現実的で笑いを誘ってくれるのだが、

これを見る限りでも性のおおらかさとは結びつきにくい。

今のような性に対するセンシティブな部分は無いにしても、

当時は当時でその土地ごとの絶対的なルールはあったと思う。

喜多川歌麿《会本美津埜葉那》享和二年

ともあれ、わたしが春画が大好きな気持ちは変わらない。

和合が生命に重要であることを説いた書物や、

相手も気持ちよくなってこその交合が大切だという考えは今でも大切だと思っている。

長くなるので今回は男色文化には触れなかったが、これも挿入する側される側の問題や客を取るまでの道のりにも

いろいろ辛そうなことがあるのだ。またいつか機会があれば書いてみたい。

江戸から地続きの今に伝えたい性のよろこびや面白さを今後も発信したいと思うし、

今まで気がつかなかった春画の面白さを発見してくれたら嬉しい。

参考文献

『江戸の色町 遊女と吉原の歴史』監修 安藤優一郎 株式会社カンゼン

『春画読本』白倉敬彦 池田書店

『錦絵春画』平凡社

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