お久しぶりです、春画ールです。
今回は春画と全く関係がない江戸期の姦淫事件について記録しておきます。
今回取り上げる事件は『旧幕府引継書目録 第1輯』(文生書院)の89頁「主人之女房娘と密通之類」の項に記載のある
「下目黒町喜八主人之娘幼女かよと密通いたし同人相果候一件(町奉行伺、寛政十二年渡)」です。
大まかに事件を伝えると、吉兵衛の娘・かよ が、父の召使である19歳の喜八に姦淫の末に殺害された事件です。
裁きの末、幼女への姦淫は遠島が元例であるものの、喜八の罪はさらに重いとみなされ、引廻しの上、獄門と判決が下りました。
この事件の裁きのなかで、幼い女性を姦淫することや、主人と召使の主従関係を破壊することに対し人々はどのように考えたのかを垣間見ることができます。
裁きの記録を直接読みたい方は、国立国会図書館デジタルコレクションの『御仕置例類集』([65] 甲類〔第一輯〕・コマ番号78)をお目通し下さい。(この記事のアイキャッチ画像です)
江戸期の姦淫の刑罰の規定
江戸期の姦淫の刑罰の規定はどのようになっていたのでしょうか。
江戸前期の幕府の刑罰規定である『元禄御法式』には、幼稚の女子と無体に密通の者は死罪とあります。
寛保二年(1742年)に八代将軍吉宗によって制定された刑罰規定『御定書百箇条(公事方御定書 下巻)』には、幼女と未婚の女性への姦淫について、以下のような規定があります。
一 幼女へ不義致し、怪我させて候者 遠島 一 女得心これなきに、押して不義致し候者 重追放 |
ここでいう「不義」は姦淫を指します。幼女が具体的に何歳頃なのかの記載はありません。
遠島とは、罪人を辺境や離島に追放する刑罰です。また「得心」とは交合の同意を意味し、追放とは刑罰のひとつで重追放・中追放・軽追放があり、定められたエリアへの立ち入りを禁じられました。女性を姦淫することは、最も重い重追放に当たりました。
この『御定書百箇条』の法により取り締まりの対象となった判例が『御仕置類例集』に掲載されています。
『御仕置類例集』は年代ごとや女性による犯罪や密通の類など内容ごとに編集されています。
明和八年(1771年)から享和二年(1802年)の部の「主人之女房娘と密通之類」に、寛政十二年(1800年)、十歳頃の幼女・かよが、吉兵衛の召使である十九歳の喜八による姦淫の末に殺害される事件の経緯やその事件の評議が書かれています。
寛政十二 申年御渡 町奉行 根岸肥前守伺 一 下目黒町喜八主人之娘幼女かよと密通いたし同人相果候一件 |
町奉行は領内の町人の住む町屋敷内の民政を司る役人のことで、行政の権利と裁判の権利を持っていました。
今回の事件の概要や判決などの吟味は町奉行の根岸肥前守が書いており、その吟味書に対して寺社奉行(寺社及び寺社領の行政司法を司り格式高く、権威ある役人)や、小田切土佐守が意見を出しています。
意見は御定書百箇条を元にしつつ、過去の事件の判決を参考に今回の判決が決まるものの、人々の幼女への性行為に対する捉え方も伺うことができる記録です。
今回の事件で「密通」という言葉がでてきますが、これは夫のいる妻と間男の情交にも使用された言葉のため、「密通」という言葉に同意のある交合という意味を含むと考える方もいます。しかし裁判記録に目を通すと本当に同意があったか不確かな交合にも使用されます。
そのため今回の「密通」の意味は、「密かに通ずる」という意味に留まらせていただきます。
また、事件の内容をすべて引用すると膨大な情報量になることと、重複する部分も多いため、今回は主要と思わる内容を中心に簡単に紹介します。
町奉行根岸肥前守による事件経緯や評議の記録
最初に町奉行の根岸肥前守による事件の経緯や評議を見てみましょう。
吉兵衛の召使である喜八が姦淫により、下目黒町の吉兵衛の娘である かよ が殺された。
幼いにもかかわらず、色情の心があり、常々喜八と慕い、戯れることがあったものの、この娘と交合を致し、殺害に至った。
取り調べの結果、喜八は引廻しの上、獄門と判決。
メモ
※ 引廻し…処刑の前に罪状を書いたのぼりを立て、見せしめのために市中を引き廻した。罪の重さによって、引き廻す範囲は変わる。
※ 獄門…晒し首。首は三日二夜晒した後に捨てた。
評議では、判決までに以下のような意見が出た。
この娘に色情があるといえども、十歳の幼女を死なせてしまったことは、姦淫に相当する。御定には、幼女に不義致し、怪我させた者は島流しとあるが、今回は怪我ではなく殺害した。殊に今回の事件の被害者である女性は喜八の主人の娘である。
仮にかよに恨みがあっての殺害であれば逆罪にもなりえるが、殺意はなく交合の折りに幼女であることから、結果的に死に至らせてしまったのが主人の娘ではなく、同輩の娘であれば、下手人または死罪であろう。いずれにせよ、今回の事件で死刑を逃れることはできない。被害者が主人の娘ということにつき、引廻しの上、獄門。
メモ
※ 死罪…田畑や家財などは没収され、牢屋のなかで首を斬られる。胴体は刀の試し斬りに使い回される。
※ 下手人…小塚原や鈴ヶ森などの刑場で首を斬られる。
寺社奉行による意見
この事件に対し、寺社奉行からはこのような意見が出ました。
喜八は娘を押し倒し、不義に及んでおり、娘に色情があったとしても、主人の娘であり、まだ十歳の幼女と淫事することは難しい。幼女に不義をして怪我させた場合は島流しが元例。口論の末に人を傷つけ、片輪(身体に障害を残す)に致した場合は中追放。
幼女を押し倒して密通することは、喧嘩口論のうえ殺害することよりも重く、死罪が妥当。幼女にも交合をすることに承知のうえの犯行であれば下手人が妥当であろう。主人の娘か同輩の娘かで御仕置の内容に軽さ、重さがあり、主人の娘を殺めたことは倫理に反するので引廻しの上、獄門が妥当である。
小田切土佐守による意見
肥前守の書いた吟味書を読むところ、喜八はかよと畑の中で密会し、かよが気絶したことに驚き、水路の水を飲ませ、様々に介抱したが亡くなってしまった。幼女に不義を致し、怪我をさせた者は島流しという御定がある。
別紙には九歳の幼女に無体ははたらき密通した件があるが、この度の喜八の件はかよが幼いにもかかわらず、色情があり同意のうえで交合が行われた行われた。しかしながら幼女との淫事は難しいことである。喜八はまだ十九歳の若輩者であり、勘弁するべきところはあるだろう。主人の娘と申し合わせて心中した者よりも罪は軽く、いずれにせよ、今回の密通の件で引廻しの上に獄門という見せしめの御仕置には及ばない。主人の娘との心中を失敗したことに準して下手人が妥当であろう。
幼女姦淫の末に殺害したこの事件で、19歳の男性が死刑になった判決までに出た意見に様々な疑問を感じた方もいるのではないでしょうか。
今回の事件で要点とされたのが「被害者が幼女」「幼女は殺害者の主人の娘」「姦淫の末、怪我ではなく殺害してしまった」ことがあげられます。評議のなかで何度も被害者の娘が犯人と主従関係があったことを述べていました。
姦淫に関わらず、主人への忠義に背く犯罪は重く罰せられました。また、所有者の権利を侵す行為も許されないのです。
独身の大人の女性との密通と、既婚者の大人の女性との密通でも罪の重さが変わってきます。
個人的に驚いたことは、事件の寺社奉行の意見でも幼女を抑え込んで密通したなら死罪であると言いつつ、娘に同意があるならば下手人が妥当とあり、互いの同意のうえ交合が成立していたとされれば、死罪を免れる可能性があったことです。
かよが10歳ながら色事に興味があり、色情があったことも判決のポイントとなっていることも、現代の感覚からするとその年齢の女性に対してそのようなことを考慮には入れないと感じます。
そしてこの娘が地方の貧しい家の出身であれば、事件はどのように取り上げられ、どのような結果になったでしょう…
事件が裁かれることすら、なかったかもしれません。