Diary 春画アレコレ

ピカソとおそろいの春画が家に来た

春画とは「性のいとなみを描いた風俗画」です。

春画はわたしの生きるうえでの喜びや活力であり、癒しなのです。

ひとりで家でお酒を飲みながら(ほとんど飲めないけど。)コレクションの春画に風を通しているときは至福の時間です。



春画を愛していた著名人はかなり多いのですが、画家のパブロ・ピカソも春画を愛したひとりです。

彼の描いた絵には、春画からインスパイアされたような男女が交わる絵や、蛸と女の絵もあります。

身体のリアルな骨格をよりも、魅せたい部分を大胆に表現する日本の春画の表現は、キュビズムの創始に影響を与えたのではないかという説もあります。



春画を含めた木版画の浮世絵についてご存知ない方に簡単に補足すると、浮世絵はざっくり分けると手で描いた肉筆と木版画があります。

木版画は木に絵を彫り付けて紙に摺るので、現代の印刷技術のように同じものを大量に作り出すことができます。

そのため同じ絵の木版浮世絵は海外の人に購入されることもあり、世界各地に膨大な数の浮世絵が所蔵されています。

ちなみに版木は使用するほどもちろん劣化するので、摺りが遅いものほど墨の線がズレたり色版もずれたりクオリティは下がります.....

そのため同じ絵でも初摺か後摺かで価値は異なるのが木版浮世絵の面白い部分でもあります。

ピカソは春画のコレクターでもあり、なんと偶然にもピカソが所蔵していた春画と同じものを入手することができました。

その春画と出会うきっかけは、浮世絵に詳しい知人から「こんな有名な絵が絵師不詳で安く売られている!」と連絡が来たことでした。

その絵は有名な絵師の錦絵(多色摺りの木版画)であり、その絵師のものに間違いありませんでした。

この事実を友人から聞いた時には、もう誰かの手に渡っているであろうと思い込んでいました。

そのため「有名な絵なのに絵師不詳で安く売られることもあるんだなあ」と、ぼんやり考えていただけでしたが、

数週間後にインターネットからその絵を検索すると、まだその春画は販売中でした....

 

なんだか胸がざわざわした。

 

「これは買うべきではないのだろうか。」

 

思い込みとはすごいもので、欲しい!と思い出すと急に焦りが生じ、こうしている間にも絵は売れてしまうのではないかと気持ちは焦ります。

すぐに店に電話をして在庫の確認をしてもらうとまだありました!

取り置きをお願いして数日後に購入しに行くことになり待ちきれません。



受け取り当日の日。

最悪なことに、その日は雨で、浮世絵を購入しに行くにはベストな気候ではありませんでした。

しかしその日に絶対に買いに行くと決めていたので延期など考えられません。

大判の浮世絵の購入は初めてだったので、期待と少しの不安を感じながら店員に名前を伝えて絵を出してもらうことに。



それは写真と変わらない美しい美しい大判の錦絵でした。

絵師 磯田湖龍斎の『欠題組物』大判十二組物、安永五年(1776年)の作品。

「可愛いいいい‼‼」と想いが声に出そうで、体中がくすぐったくて、嬉しかった。可愛い。

その場でおもちゃを買ってもらう子供のように邪気なくピョンと跳ね上がりたい気持ちでした。

全体的に褪色もなく、少々のシミやまぶたの手彩色に目をつぶっても購入するには申し分ない状態でした。

何より破格の値段でした...

裏面のから見ても摺りが美しいことがよくわかりました。

この絵は数百年の間にどこで保管され、どんな人が見てきたのでしょうか。

誰がどんな想いで購入し、どのような気持ちで手放したのでしょうか。

この絵はわたしの知らない、予想もできない何百年もの長い旅の末にわたしと出会いました。

もしかしたら海外にいたかもしれないですし、わたしがここで見た絵はたくさんの歴史を背負った末の「いまここ」に存在するのです。

わたしが責任を持ってこれからも保管し、絵として生まれたからには多くの人に見てもらうつもりです。

これからもこの絵は多くの人々を笑顔にし、感動させてくれるでしょう。

上の画像は同じ大判の組物の一図なのですが、機関が所蔵している別の絵です。

照明の当たり具合の違いもありますが、性器の色や着物の色などを見てると、わたしの購入したものの方が色の褪色があまりない気が。(うれしい)

この絵の内容を簡単に説明すると、

場所は裏庭の縁側だろう。

若衆「じきにしまふよ。そりゃそりゃー」

娘「アレサ 人が来るわな。あっちでしよう」

男の子から誘いかけ、女の子は誰かに見られることを恥ずかしがり、場所を移動しようと言っている場面。

菊の花がお尻のあたりで満開に咲き誇っているところがじわじわくる絵だ。

よく見ると「きめ出し」と呼ばれる技術が使われており、身体が立体的に表現され肉感が出ています。

こういう部分に気が付けるのは、画集を見るのではなく実物を見るときの醍醐味です。

この欠題組物はストーリー仕立てではなく、一枚ごとに内容が独立しています。

わたしは組物の一枚だけを手に入れたことになります。

この磯田湖龍斎の欠題組物の他の絵をご紹介すると、



菖蒲の葉で編んだ菖蒲打の縄を握った弟のトメが、お姉ちゃんが楽しんでいる現場を目撃してしまった場面である。

姉「あれ、トメの声がする。まず止めなよ」

若衆「なに、大事ない。もう行くぞ」

トメ(弟)「おやおや、マラをするは。母さんに言いつけよう」

春画にこどもが登場することはよくある。そもそもこの時代の建物は現代のように間取りが完全に区切られていないので、誰かが覗いていたり聞いているシーンはよく描かれているのだ。



旦那が寝ている間に間男が家に来た場面。

間男「いやもうもう、大の待ちかね山。ちょっとちょっと」

女房「今そっちへ行くよ。ここでは亭主が目を覚ますわな」


幸せそうに寝ている亭主がなんともあわれに感じてしまう。

このあと女房は別のところでお楽しみ、その後は何事もなかったかのように蚊帳の中に

戻って朝まで亭主と眠るのであろう。

蚊帳の網目をよく見てもらいたいのだが、かなり目が細かいのがわかる。

これらは全て人間の手で木に彫り付けているのだから超絶技巧である。

わたしは会社員であり、資金は潤沢でなくとも絵を買い所持する楽しさはよく分かります。

きっとピカソも自慢のコレクションをたまに見ては二コリと微笑み春画から元気をもらい、数々の名作をこの世に生み出し続けたのでしょう。

わたしはピカソとキュビズムのはなしはできなくても、春画について何時間でも楽しく話ができるでしょう。

それぞれが持っている春画を見せ合いながら春画のおもしろさを語るのです。

そんな妄想をしてしまいます。

絵には誰かの人生に影響を与えるような力を秘めていると思います。

春画は性のいとなみを表現した絵であり、それは誰かの人生のいとなみ。

だから性別や年齢、国籍を超えて愛されるのでしょう。

ありがとう、春画。

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